2024.1.23.(火)約束

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今から約21年前、

私は入院中の祖母に毎週ハガキを出していた。

当時98歳の祖母は、自宅で転倒し救急車で病院に運ばれて以来車椅子の生活となり、一日の大半を病院のベッドの上で過ごしていた。

ハガキの内容は私の家族の近況や季節の話題、時には私や祖母の故郷に関する思い出などを短い文章で書き綴ったものだった。イラストもたくさん描いた。書くことが楽しく、ハガキが祖母に届くのが楽しみだった。会いに行けない自分の代わりに、ハガキが祖母のもとを訪れて話をしてくれる気がしたからだ。

そのころ、私は祖母の病院から列車を乗り継いで4時間程の距離にある町に住んでいた。毎年盆と正月には小学生の2人の子供たちを連れて、祖母が住む私の実家に帰省するのがお決まりだった。そして次回の帰省は、子供達が冬休みに入ってからとなる予定だった。次に会うまで、祖母に元気でいてもらいたい。そう願う気持ちを込めてせっせとハガキを書いて送った。

ある日母が電話で、

「あなたのハガキを看護士さんが褒めてたよ、良く書けてますねって。」

と嬉しそうに伝えてきた。

祖母の入院していた病棟宛にハガキを出していたので看護士さんの目に留まったみたいだった。

またハガキは父が祖母に読んで聞かせることもあったようだ。祖母にハガキを読んでいる父の姿を想像すると微笑ましい。

ハガキは両親にも喜ばれているようだった。

実は耳が遠い祖母には父の声はよく聞こえなかったのではと思っている。せっかく父が文面を読んできかせても父の声が届かず祖母にハガキの内容は伝わらなかったかもしれない。

少なくとも祖母はそれが私から送られたものだということは理解していたようだ。

父の話ではある時祖母はハガキを見せられると、ベッドの上で自分の方に誰かを手繰り寄せるしぐさを見せながらこう言ったそうだ。

「Yちゃんむぞむぞ」

「Yちゃん」というのは私の呼び名で「むぞむぞ」とは昔の方言で親や目上の者が小さい子供に向けて“たまらなくかわいい”という意味で使う愛情のこもった言葉である。祖母は「むぞむぞ」といいながらそこに実在しない「Yちゃん」という小さな子供ををあやすそぶりを見せたというのだ。その様子を見ていた父はそれは祖母が「Yちゃん」こと私をむぞむぞと可愛がっているように見えたといった。

父からその話を聞いて、それは祖母の嬉しさと感謝の表現だと思った。

私は祖母から久しぶりに頭をなでられて、「むぞむぞ」と言われた気がして、嬉しかった。

誰にも言わなかったが私は内心こう思っていた。

祖母はハガキの差出人が「Yちゃん」であるということ以外に私がハガキに書いている家族の近況や季節の話題、私たちの故郷に関する話などの内容はもちろんのこと、ハガキに込めた祖母を元気づけたいという思いや、悟られないように込めた祖母との別れが近いことを悲しく思う気持ちなどちゃんと伝わっていると。祖母は手紙に書かれた文字や言葉を読まなくても、魂とか潜在意識とか思念とか人智を越えた何かの作用で情報を受け取っているのではないかと思っていた。非科学的で、荒唐無稽な話だがそんな風に思うほうが元気に過ごせた。

祖母は日に日に衰弱が進んでいき、父はとうとう言った。

「もう、ハガキは出さなくていいぞ。おばあさんはハガキを見せてもわからないから。」

それを聞いて、私は、祖母との別れが近いことを悟った。だが父の言う、祖母がハガキを見せてもわからないかどうかに関しては、賛成しかねた。

意識はなくても、祖母はわかっていると思う。

ハガキが届けば、喜ぶし安心してくれる。

私はかたくなだった。

そして最後のハガキを投函した。

『ばあちゃんお元気ですか!私たちは元気です。寒くなってきたね。もうすぐ、クリスマスです。そして、子供達の冬休みが始まります。冬休みになったら、ばあちゃんに会いに帰るからね。それまで、もうあと少し待っててね。』

そしてクリスマスイブの朝が来て、我が家では子供達がクリスマスケーキ用のスポンジを焼いていた。

そこに父から電話が来た。

祖母が危篤に陥ったという報せだった。

私は焼き上がったスポンジを大きなビニール袋に入れて、デコレーション用のペンと一緒にバッグに詰めた。

急いで家族全員の荷造りをし、子供達を伴って、タクシーにとびのった。

私たちが病院に到着した時、祖母は静かに眠っていた。私達は、病棟の看護士さんにお願いして、祖母の病室でクリスマスケーキの仕上げをすることにした。持参した大きな紙皿の上にスポンジケーキをのせ、子供達がデコペンで文字を書いた。

ケーキに立てたキャンドルに火を灯して、クリスマスの歌を歌った。

ケーキは人数分に切り分けて、少しだけ看護士さんにも食べてもらった。祖母と一緒に、こんな時間を過ごすことができたのは奇跡のようだった。

そしてその翌日12月25日に祖母は亡くなった。

祖母は私がハガキでお願いした通り子供たちの冬休みが始まるまで待っていてくれたみたいだった。

もちろん、祖母とやり取りして約束したわけではない。

だがまるで私が出したハガキの内容を祖母が理解して、はい、わかりましたよ、待ってるから気を付けて帰ってきてね、と祖母が私に返事をくれて、その結果よし約束したよと2人で指切りげんまんしてお互いの合意のもとで予定が決まったかのように息が合っていた。

こんなことがあるんだなって不思議な気持ちだった。忘れられない祖母との最後の思い出である。

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