父は2年前の年の瀬に90歳で亡くなった。
亡くなる前の最後の3年間は生家や家族と離れて施設で暮らした。
私は父に面会に行くとき、少しでも楽しい時間が過ごせるように、父の喜ぶ話題を考えた。
父はいつも私に自分が若かった頃の出来事、村の行事や勤め先のこと、既に亡くなった思い出深い人達の話などをしてくれた。私たちは家族や親せきの人達の名前や昔よく使っていた道具の名前、また自宅周辺の場所の呼び名などを確認しあった。同じ話題を繰り返しても父は喜びこそすれ飽きてしまうということがなかった。父の記憶にある人物や物の「名前」を私は何度も言葉にしては父と楽しい時間を過ごした。私が発した「名前」に聞き覚えがあったり、何か心に刺さった時、父の顔がパッと輝き、嬉しそうな表情になった。寂しい部屋がひとときだけ懐かしく温かい空気に包まれるような気がした。
父には特にお気に入りの「名前(言葉)」があった。父はその名前を聞くと、多少気分が落ち込んでいても何故かニヤッと笑ってしまう。理由はわからないが、本当に効果てきめんだった。
その言葉とは、「あんぽんたんの川流れ」だ。
「河童の川流れ」ではなくて、「あんぽんたん」というところが、父にとって肝である。
「あんぽんたん」で一度ズッコケて脱力し、続く「川流れ」で故事成語風に品よくまとまる感じが父の趣味と感性的に丁度よかったのではないかと私は推測している。
ところで、この「あんぽんたんの川流れ」は小話になっている。
父がこのフレーズを聞くとあまりにも喜ぶので、私はできるだけ父の上機嫌の時間を延ばしたいと画策し「あんぽんたんの川流れ」というお話を作りあげたのだ。内容は、父の生家周辺の地名満載のおとぎ話風のお話だ。
それはこんな感じ。
『むかしむかし、ある日のこと「向い」の川の上流から、あんぽんたんが、どんぶらこっこ、どんぶらこっこと流れてきました。そして「ちしゃのき」近くの「おおまる橋」の下を通って「いでもと」のお地蔵さんの手前まで流れ着くと突然「いでもと」の山の上から「ちゃびんころがし」がちゃびんをころがしてきました。びっくりしたあんぽんたんは、どんどん川を下って「いたねり」の橋の下までいってしまいましたとさ。おしまいおしまい。』
というようなものだ。父はこの話を聞いて感心しきりで、私に『あんたはどこでこの話を聞いたのか?あんたが作ったてかい。あんたはすばらしいお話を作ったね。本にして出したらいいと思うよ。』
と言ってくれた。父の喜ぶ顔を見て私も幸せな気持ちになった。
ところで、私は何故こんなに、この「あんぽんたん」という言葉が父を喜ばせたのかについて、ある説を思いついた。それは「オノマトペ効果」という説だ。 「オノマトペ」と「あんぽんたん」とがいったいどんな関係があるというのか、また私の中でなぜそのふたつが結びついたかということについての話はまた次回に。
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